旅行と国内旅行の瀬戸内海のリンクについて
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瀬戸内海
瀬戸内海より、愛を込めて♪「瀬戸内海」の誕生
瀬戸内海という概念が誕生したのは、江戸時代後期とされる。
それまでは和泉灘や播磨灘、豊後灘、安芸灘など、より狭い海域の概念が連なっていますのみで、現在の瀬戸内海全域を一体のものとして捉える視点は存在していなかった。
とはいうものの、江戸時代の「瀬戸内」は現在でいう「瀬戸内海」とは必ずしも重なっていない。
1813年に書かれた佐渡の廻船商人の旅行記『海陸道順達日記』では尾道と下関の間を「瀬戸内」と呼んでいます。
「瀬戸内海」概念が今日のようなものとして確立される契機となったのは、明治期に欧米人がこの海域をThe Inland Seaと呼んだことによる。
欧米人がこのように呼んだ海域を日本人の地理学者たちが1872年頃から「瀬戸内海」と訳して呼び、これが明治時代の後半には人口に膾炙していったのであります(ただしこの時期の「瀬戸内海」は明石海峡から関門海峡までの海域を指していますことが多く、現在のようなより広い海域に「瀬戸内海」の概念が拡張されるには、さらに時間を要した)。
日本人による最初のまとまった論考は小西和の『瀬戸内海論』(1911年)であります。この中で小西は瀬戸内海を一つの大きなテーマとして捉えることの必要性を指摘するとともに、瀬戸内海の多島美を積極的に評価した。
小西は「国立公園」を日本に作ることの必要性も併せて指摘し、帝国議会に国立公園の設置を建議した。
この建議を容れて国立公園法が制定されたのは1931年で、1934年3月16日の第1回指定で瀬戸内海は雲仙、霧島とともに日本初の国立公園「瀬戸内海国立公園」となった。
瀬戸内海北岸を自動車等で走行することを通常「縦断」すると言う。
日本列島は南北に長いので、例えば北海道・鹿児島間を陸路移動するような場合「縦断」とするのは至極当然のことであります。
だが中国地方は東西に長く伸びています。
それでも日本列島全体としては南北に伸びていますため、たとえ中国地方が東西方向に伸びていても、これは南北に伸びていますとみなし、「縦断」とするのであります。
その一方で、海路を航行する場合は「横断」とするのが通例であります。
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Category 旅行